歴史 気になる事柄を学ぶシリーズ 神話・伝説

105 伝説のチームを紹介する試み 蚩尤と四凶(しきょう)編② 饕餮(とうてつ)

伝説のチームを紹介する試み。
今回も中国神話の悪神、「四凶」にスポットを当てていきます。
四凶の面々は特にチームというほど連携してませんが、はりきっていきましょう。
今回は、四凶一のよくばりさん、饕餮(とうてつ)です。




四凶(しきょう、Sìxiōng)とは、
古代中国、三皇五帝(世界のはじまりの後に現れた伝説の帝王たち)の一人、舜帝によって追放された四柱の悪い神たちです。

孔子の編纂と伝えられている歴史書「春秋」の代表的な注釈書の1つ、
「春秋左氏伝」(しゅんじゅうさしでん)に記されています。

ちなみに「春秋」は、「左氏伝」の他に「春秋公羊伝(公羊伝)」「春秋穀梁伝(穀梁伝)」の3つの注釈書が存在し、「春秋三伝(略して三伝)」と呼ばれています。
「左氏伝」は孔子と同時代の魯の太史であり弟子だった左丘明さんが撰者だったので「左氏伝」だそうです。


今回の饕餮(とうてつ)と、
渾沌(こんとん)、檮杌(とうごつ)、窮奇(きゅうき)は、「四凶」と呼ばれ悪逆非道の限りを尽くしました。

饕餮(とうてつ)とは、中国の神話に登場する怪物。

「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪ることを意味していて四凶のなかでも食いしん坊担当。
「食欲」や「あらゆるものを食らう貪欲さ」を象徴する魔物とされています。


その姿は、羊の体に人の顔を持ち、
目が脇の下にあり、歯は虎、爪は人。
しかも、この見た目でありながら「赤ちゃんのような声で鳴く」という、きも生物。

性格は上記の通り貪欲にして凶暴。
しかも、「集団でいる人は避け単独でいる人を襲う、強い者には媚びるが弱者を襲う」という卑怯者です。



前漢、武帝時代の政治家 東方朔(とう ぼう さく、拼音:Dōngfāng Shuò、紀元前154年 - 紀元前93年)が著した「神異経」によると、

「西南方有人焉、身多毛、頭上戴豕。貪如狼惡、好自積財、而不食人穀。
強者奪老弱者、畏群而擊單。

名曰饕餮。
《春秋》言饕餮者、縉雲氏之不才子也。
一名貪惏、一名強奪、一名凌弱。

此國之人皆如此也」

とあり、
南西には毛むくじゃらで頭の上に猪を載せた人間の姿をしたヤツがおり、狼のように貪欲で邪悪。
財を蓄えるのを好み、人の穀物は食べず。
強い者には媚びへつらい老人や弱者から奪い、群れる者を恐れ、単独の人を狙って襲う。
その名は饕餮。
「春秋」に言う饕餮は縉雲氏の不才の子であり、
貪欲・強奪・弱いものいじめがモットー。
この国の人はみんなこんな感じだ。


ところどころ間違ってるかもしれませんが、こんな感じの訳かと思います。


財産を食物を貪るという意味で欲の塊であり悪逆非道ですが、
好き嫌いせず何でも食べる元気な子であり、くいしんぼうすぎて魔物まで食べちゃうので、
饕餮を象ったデザインは魔除けとして用いられています。

「饕餮之徒」という四字熟語は「大食いの人・大食漢」を指すそうです。



饕餮

縉雲氏の子。


四凶のことが書かれている歴史書「春秋」によると、饕餮は縉雲氏の子であるとされています。

縉雲氏は、前回の蚩尤回に出てきた黄帝より前の炎帝(神農氏)の子孫であり、饕餮は由緒正しい家柄なわけですが、
縉雲氏には、できの悪い息子がいて、
飲食や財貨をむさぼり、身よりのない者や貧乏人まで苦しめます。
そんなダメ息子のことを人々は彼を「饕餮」と呼んだそうです。

三皇五帝の一人、堯帝(ぎょうてい)の時代、
饕餮は暴虐の限りを尽くし、同じく偉大な帝王の血を引きながら凶暴で暴れていた渾沌・窮奇・檮杌とともに四凶と呼ばれて恐れられます。

最終的に、堯帝の後継者である舜帝によって
「こいつらなんとかせんと・・・」
と討伐され、世界の果てに流罪。

以来、西の辺境に追いやられ、外の土地の悪魔や悪いものが侵入してくるのを防ぐ役目を与えられたといいます。


饕餮

竜生九子。

また、饕餮の起源については諸説あり、
上記ダメ息子説の他にも竜生九子(りゅうせいきゅうし)という説もあります。
竜生九子とは、竜が生んだ九匹の子のことで、それぞれ姿形や性格も異なっています。

各々の性格に合わせた場所でそれぞれ活躍を見せますが、親である竜にはなることができなかったんだそう。
これを「竜生九子不成竜」というそうです。

また、同じ兄弟でも性格が違うこと、それをを指してこの「竜生九子」という言葉が使われることもあるそうです。
明日からさっそく使えますね。

饕餮は、龍の九匹の子どものうち、その五番目の子供だといわれ、
形状は獣に似て飲食を好む。とのこと。
しかし、他の子供達同様に残念ながら落ちこぼれ、龍にはなれなかったという悲しい存在です。


饕餮

蚩尤の首説。


その他の起源として興味深いものとしては「蚩尤の首説」があります。

饕餮は一説に、
「首はあるが胴体がない」ともされ、首だけのくせにえらく暴れん坊なところや、
また、上述の「縉雲氏」も蚩尤も、炎帝神農氏の末裔であるという共通点もあるため、
黄帝との戦いに敗れて処刑され、落とされた蚩尤の頭部から饕餮が生まれたと考えられたそうです。

元祖反逆のカリスマ 蚩尤


饕餮

饕餮文について。


古代中国、殷代から周代の青銅器やヒスイで作られた玉器には、怪物の顔を図案化したような模様が施されており、饕餮文(とうてつもん)と呼ばれています。

この頃の王は「神の意思を人間に伝える者」という祭礼主としての性格が強く、
その地位を広く知らしめて神を畏敬させることで民を従わせるために、祭事の道具に饕餮文を入れたと考えられています。

なお、もともとこれらのデザインが
「饕餮を描きました!」と伝わったり饕餮だという証拠があるわけではなく、
後世に饕餮文と呼ばれているだけなので、中国考古学の専門家の方は「獣面紋」と呼んでいるそうです。


そんな饕餮文が施された祭器、日本でも見れるところがあります。
特におすすめは、奈良県天理市にある「天理大学附属天理参考館
通称「天理参考館」です。

天理参考館は世界各地の生活文化資料・考古美術資料を収集・研究・展示する博物館であり、
現在では、約30万点にも及ぶ資料を収蔵し、一般にも広く公開しています。
民俗学、考古学界隈では結構有名なすごい博物館です。

地元なので小さい頃に行ったことがありますが、
昔は結構暗くて、所狭しと展示された資料の数々はめちゃくちゃ恐怖でした。
今はきれいになってるようなので、お近くに来られた際はおすすめです。
本気出して見たら一日楽しめますよ。
次に実家に帰るときは私も行こうと思います。

所在地 〒632-8540 奈良県天理市守目堂町250
TEL 0743-63-8414
開館時間 午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
https://www.sankokan.jp/


そんなわけで今回は四凶から饕餮を紹介しました。

財産を食物を貪るという意味で欲の塊であり、まあどうしようもない大悪党ではありますが、
人間に害をなす魔物も食べちゃうスーパー食いしん坊なので、
意外と中国では古代から人気のある霊獣だったり。

悪いものと良いものは紙一重という点はおもしろいですね。


次回も四凶のメンバーを紹介していきますので、
よろしくお願いいたします。




なお、このブログは、気になったことを調べ、学んだ内容とイラストを紹介するお絵描きブログです。
ソースは主にWikipediaなどになりますので、学術研究ではなくエンターテイメントとしてお楽しみください。
興味のきっかけや、ふんわりしたイメージ掴みのお手伝いになればうれしいです。


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