諸子百家の中で兵家を深堀する試み。
前回は2人の孫子がいたことを紹介しましたが、
今回、まずは時代背景から。
時代が古い方の孫子 孫武 が生きた「春秋時代」についてです。
・春秋時代とはいつごろか。
古代中国では伝説の国家が崩壊して群雄割拠の時代を経て紀元前221年に、
秦の始皇帝によってはじめて統一されます。
古くは神話の時代の夏王朝、それを滅ぼした殷王朝、
そのまたさらに殷を滅ぼしてできたのが、周王朝で長く君臨しますが、
ライジングしたものは衰退していくのが世の常。
王家の内紛や異民族の襲来といったこともあって王朝は衰退。
支配力が弱まって各地域を仕切っている諸侯はワンチャンを狙って独立。
諸侯は王を名乗り各国は覇権を争ってしのぎを削り、
最終的に、力こそパワーの超つよ国家 秦 が統一。
紀元前770年の周王朝の遷都から秦による統一までの
紀元前770年~紀元前221年までの550年ほどの間を、
「春秋戦国時代」と呼び、
その中でも前半を 春秋時代、後半が戦国時代になります。
孫武が活躍したのは春秋時代になりますが、
「春秋」とは孔子によって編纂された魯の国の年代記に由来します。
ちなみにこのころ日本は縄文時代です。
周は各地に諸侯を封じ、その数は約140か国。
各国に力の差はもちろんありますので争いを繰り返して
徐々に強い国が弱い国をのみこんでいきます。
春秋時代は367年間ですが、その間で歴史書に記された戦争はなんと483回。
つねにどこかで争いが起きているという、抗争の絶えない時代でした。
戦争に勝つ、あるいは負けないために各国は国を強くすることが急務。
内政を調えて軍備を増強、経済や文化を発展させて国力を高めていかなければなりません。
そのために各国はブレーンとなる優秀な人材を国内外問わずリクルートすることにも熱心でした。
・春秋の五覇
春秋時代の勢力のある諸侯は「覇者」と呼ばれ、
諸侯たちは覇者の地位を得るために頑張りました。
覇者と認められるには、ほかの諸侯を招集し「会盟」という儀式をしなければいけません。
最初に会盟を主催して覇者となったのは 斉の桓公、
現在の山東省辺りで勢力を張ります。
次の覇者は 晋の文公。斉の西、現在の山西省から河南省に勢力を伸ばします。
その次は 楚の荘王 で長江流域から北へ勢力を伸ばします。
4番目の覇者は 呉の闔閭(こうりょ) 呉は長江下流を本拠地にします。
その次に覇者となったのは、呉よりさらに南の国、越の勾践(こうせん)。
この5人を「春秋の五覇」と言います。
もともと黄河中流域の地域を「中原」と言って
周の勢力範囲であり中国古代文明の中心地でしたが、
楚、呉、越は中原のはるかに南。
時代とともにいわゆる「中国」が南に広がり、
また、辺境と言われていた国が力をつけていったことがわかります。
さてさて、孫武の生没年や生い立ちなどは詳しくわかっていませんが、
後の時代に著された司馬遷の「史記」によって、
春秋五覇のうち、呉王闔閭に仕えたこととエピソードが伝えられています。
闔閭の在位が紀元前514年〜前496年で、
その間の紀元前512年に将軍に任命された記録があるので
現在から約2500年前、孔子と同じ時代に活躍したということになります。
次回は孫武の人物像やエピソードに迫って行きたいと思います。
※記事については、 学術研究ではなく、
エンターテインメントとしてご覧いただけましたら幸いです。
参考文献
・二人の兵法孫子 孫武と孫臏の謎 (学びやぶっく) 永井義男 著
二人の兵法孫子 孫武と孫〔ピン〕の謎 (学びやぶっく) [ 永井義男 ] 価格:1320円 |
価格:16500円 |