兵家 諸子百家

020諸子百家11 孫子(孫武)のエピソード

2024年2月7日

諸子百家の兵家を深堀する試み。
今回も古い方の孫子、孫武の人物像やエピソードについてです。



孫武が『孫子』を書いていたころの中国は大きな変革期の最中にあり、
「邑」と呼ばれる都市国家の連合体、邑制国家だった「殷」、
それを滅ぼした「周」が弱体化し、
周王のもとで、諸侯 たちが自立していく時代でした。
(春秋時代)
ちなみに前回触れた通り、都を東に遷都しているので
その頃の周は「東周」と呼ばれます。

春秋・戦国時代は、
血縁を尊重する氏族制社会の邑制国家から、
周辺一帯を統一して支配する領域国家へ
変化する過渡期の時代であり、
諸国が抗争し力で他国を従えた有力者が覇者となります。

入れ替わり立ち替わりに覇者となった5人の王
「春秋五覇」の一人、
呉王闔閭(こうりょ)に孫武は仕えます。
※闔閭の子供の夫差(ふさ)を五覇に数える場合もあります。

呉王闔閭 在位期間紀元前514年~前496年

司馬遷の史記には、
孫武と闔閭の有名なエピソードがあります。

孫武が闔閭に謁見したとき、
闔閭は、

「そなたの著書十三篇は読んだ。実際にやってみてくんない?
試しにうちのかわいこちゃん達で訓練してちょ。」

と依頼します。
孫武は

「よござんす」

と、集められた女官達を兵に見立てて訓練。

女官達を2組に分け、王のお気に入りの美女2人を
それぞれの隊長に任命。
闔閭も見物します。

孫武は刑罰用の斧を手に、

「太鼓の音に合わせて、向く方向を号令するんで、
前後左右を向いてね。」

と女官達に指示しますが、
孫武が「左」と合図しても、
超だりいんだけどー。と女官達は従わず、
ウケるwとばかりに大笑い。

「おっちゃんの指示が悪いから、
わかんなかったよね。めんごめんご。」

というようなことを孫武は言ってもう一度説明したうえで、

「じゃあ次は右!ドン!」

と号令するも、
女官達は完全にナメてるので、笑うばかり。

「再三確認したにも関わらず、兵が命に従わぬは隊長の責任なり」

と、孫武は闔閭の お気にズ を斬ろうとします。

これには闔閭も「いやいやいやいや」
と、ストップをかけて、

「その子達がいないと、わしはご飯も喉を通らないからやめてよー!」

と懇願。
孫武は

「ダメです。将軍を任じられたからには、王の命令でも聞けないことがあるのです。」

と、手の斧で隊長役の美女を2人とも切り捨て、
他の女官を新たに隊長に任命し、訓練を続行。
女官ガクブル、闔閭もドン引き。
恐れおののいた女官達は一糸乱れず号令に従ったのでした。

「さあ、訓練できたんで、チェックお願いしますー。」

と報告するも、
闔閭は完全引いちゃってるので、

「あ、はい、えーとOKです。
じゃあ今日はもういいんで先生は宿にお帰りください。」

と。
孫武は

「王は兵法を読むのは好きだけど実戦は苦手なようで…」

とその場を後にしました。


まあなんとも、今より命の軽い時代だな。と、ドン引きエピソードですが、
兵を統率するために軍令を厳正にすることが非常に重要であることを物語っています。
たとえ軍師がいい作戦を考えても、
兵士に規律がなければ軍として命令を遂行することができません。
また、罰するときは高い立場の者を処罰することが
効果的だと言うことがわかる話です。

お気に入りを殺されて失意の闔閭ですが
さすがは王の器、孫武が伝えたかった内容と、
用兵の見事さを認めて将軍に任命しました。

将軍孫武による訓練を受けた呉軍は、
命令系統が確立されてどんどんパワーアップ。
西の強国である楚に対して、闔閭自ら軍を率いて攻め込み大勝利。
その後、反撃で攻め込んできた楚軍も迎え撃ちます。
孫武に鍛えられた軍は超強く、孫武の作戦や用兵も大成功をおさめます。

数年後の紀元前506年には、
満を持してあらためて楚に進軍。ついに楚の都を落とします。
この勝利には事前に楚の属国である唐と蔡を抱き込んで味方につけていたことも大きく、
戦争が武力の衝突だけではなく、
外交での立ち回りも重要であること。
相手の力をそぎ、負けない体制を整えておくことが大事であるということですね。

都を落とされた楚は存亡の危機でしたが、
秦に助けを求め、今度は楚&秦とぶつかります。
しかしながら、戦争で闔閭の留守の間に
弟がクーデターを起こし、呉軍はやむなく帰還。
呉軍の撤退により楚は辛くも滅亡をまぬがれました。

楚を征服することは叶いませんでしたが、
呉の連戦連勝はめざましく、覇者の座に躍り出ました。
この一連の勝利に孫武の尽力が大きかったことは言うまでもなく、
兵家孫武の名は諸侯の間で大バズり。
著作の「孫子」も一躍有名になったのです。

その後も闔閭と孫武が率いる呉軍は快進撃を続けるものの、
越軍との戦いで受けた矢傷が元で闔閭は亡くなります。
闔閭は息子の夫差に越を倒せと遺言を残し、

夫差はへ復讐のために、
痛い薪の上に座り、苦い胆を嘗めてがんばりました。
この 越絶対倒すマンとなった勾践のエピソードが、
ことわざの「臥薪嘗胆」です。

そんなわけで夫差は復讐を誓って軍を鍛え、
越を滅亡寸前に追い込みます。


呉の臣下達は、越王 勾践(こうせん)が後の禍になるので
殺すように進言しますが、
勝利に酔っている夫差は勾践の降伏を受け入れます。
闔閭の時代から孫武と一緒に仕えてきた重臣の伍子胥(ごししょ)は
越の危険性を説き続け、その後も越を攻めるよう説得をしますが、
ちょっとウザいなと思っていた夫差は伍子胥に自殺を命じます。

伍子胥を失った呉サイドはイエスマンばかりになって、
呉は衰えていきますが、
その間に力を取り戻し、虎視眈々と狙っていた
越王勾践に攻め入られ呉は滅亡します。

さて、夫差が呉王だった頃や呉越の抗争の頃、
孫武がどうしていたのかというと、
まったく記録がありません。
まるで消えてしまったように史記にも出てこなくなり、
どこでどうしていたのかわかりませんが、
闔閭の死や、伍子胥をはじめとした
重臣が軽んじられるところを見て引退したのかと想像されます。
穏やかに余生を過ごしていたのであればいいですね。


※記事については、 学術研究ではなく、
エンターテインメントとしてご覧いただけましたら幸いです。


参考文献
・二人の兵法孫子 孫武と孫臏の謎 (学びやぶっく) 永井義男 著

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・孫子 ー「兵法の真髄」を読む(中公新書) 渡邉義浩 著

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