諸子百家の似顔絵と紹介企画、
第7回は老子と合わせて語られる道家の代表的人物、荘子のご紹介です。
荘子は本名を荘周といい、紀元前4世紀後半に活躍した思想家です。
時代としては、儒家の孟子とだいたい同じ頃になります。
後の時代の荀子によると、
「荘子は天命に従うことばかりで人間の可能性に消極的」と思想を批判されていますが、
荀子の時代には荘子とその思想は世間に知られていたと見ることができます。
荘子は宋の国の出身で、その評判を聞いて一国の宰相にスカウトされたりもしますが、
「自由がなくなるから」と断っちゃうなかなかのストロングスタイル。
生涯において官職に就くことはなかったようで、
書物の「荘子」の中の一節によると、
わらじ作りの内職で日銭を稼ぐつつましい暮らしではあるものの、
悠々自適のスローライフだったようです。
儒家思想に代表されるような、
人が作った道徳や礼儀、学問や文化などを否定し無為自然を掲げた老子の思想。
荘子はその思想を引き継いでいますが、
老子が政治について言及したのに対し荘子は人間の在り方について説いています。
また、人智の及ばない天=道については説明することができない。
として老子は抽象的に語る姿勢をとっていましたが、
荘子はたくさんの例え話でその思想を説いているのが特徴です。
荘子の教えをまとめた書物「荘子」は
内篇7、外篇15、雑篇11の合計33篇から成ります。
内篇は荘子自身の著作、外篇と雑篇は弟子が著したとされていますが、
内篇の中に書かれた 万物斉同 と 逍遥遊 が思想の中で特に重要なポイントです。
世界の始原は考えを巡らせても突き止めることはできない。
世界が無から始まったのか有から始まったのかも決してわからないし、
始まりや有、無といった基本概念すら確定できないのに人間が対象の存在を認識することは不可能。
そもそも、善悪や美醜、優劣といった価値基準も人間だけが勝手に思い込んでいるだけである。
絶世の美女がいたとしても、それは人間だけの認識で
魚も鳥も、人間以外のものはみんな逃げるじゃないか。
価値観なんて人が勝手に作ったものであり、
天地や自然、宇宙といった高い視点から見れば存在に差などない。
万物はみな等しく、これが万物斉同です。
また生と死についても「死は悲しく悪いものだ。」というのは人間の思い込みであり、
人生なんて仮の宿のようなもの、
元々なかったものがまたなくなるようなものなので
何を悲しむことがあるのか。といいます。
これにはエピソードがあり、
友達の恵施が、荘子の奥さんが亡くなったと聞いて弔いにやってきた時、
当の荘子は太鼓を叩いて歌っていたんだとか。
いや、それはそれでどうかと思いますが、
荘子的にはさほど重要ではなく、歌いたい気分だったんでしょう。
世界は混沌で万物万物は入り乱れて定まっていないのが自然なのに、
これを無理に分けて判断しようとするから不幸や世界の混乱が起きる。
心の分別をすてて、ありのままの自然な世界を受け入れ、
悠々と遊ぶように生きるのが荘子の説く人間の理想のあり方だといいます。
有名な胡蝶の夢という説話があり、
荘子が春にうたた寝をしていると自分が蝶になってひらひらと遊ぶ夢をみます。
目を覚ました荘子は、蝶になったのが人間の草子が見た夢なのか、
それとも目覚めた人間が蝶の見た夢なのかわからない。というエピソード。
このような境地が逍遥遊です。
最後に荘子の言葉をいくつか紹介して締めたいと思います。
・人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり。
人は役に立つものの有用性は知っているが、
役に立たないと思っているものが大きな役割を果たしていることを知らない。
無用だと思われているものが実は有用であり、無駄なものなどない。
・水の積むこと厚からざれば、則ち、大舟を負うに力なし。
水の深さが足りなければ大きな船を浮かせることはできない。
心を広く深く、余裕を持たないと大きなことは成し遂げられませんよ。という意味。
・井蛙は以て海を語る可からず。
狭い井戸の中に住むカエルに広い海の話をしても理解できない。
見識の狭い者に、大きな道理を説いても無駄である。
ことわざの 井の中の蛙大海を知らず の語源。
そんなところで、
老子と併せと老荘思想と呼ばれる荘子とその思想の紹介でした。
※記事については、 学術研究ではなく、
エンターテインメントとしてご覧いただけましたら幸いです。
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