諸子百家第5回。
今回も儒家から荀子のご紹介。
孔子以後、仁と礼を重要視する儒家の思想家ですが、
仁をより重要視した孟子に対し、荀子は礼を発展させた思想が特徴です。
荀子の生い立ちについて、詳しい記録が残っていませんが、
趙の国に生まれ、50歳ごろにはじめて遊説を行い、
斉の襄王に仕えたと伝えられています。
当時、斉の国では思想家の優遇策がとられており、
天下の著名な学者を招聘。
それに応じた学者たちには都に屋敷を与えられるという大サービス待遇でした。
そうして集まった学者達は、
国家や世界、人間の理想について至る所で論争を繰り広げ、
斉の思想家界隈は大変な盛り上がりを見せます。
そんな中で荀子は斉が諸国から集めた学者たちのまとめ役である、
「祭酒」という学長職に任命されます。
その後、長官の職を歴任しますが、
なんと周りに貶められて斉を追放されてしまいました。
失意の中、斉を後にした荀子は楚の国で官職につき、
任を辞した後も長く留まり、楚で生涯を閉じたようです。
荀子の教えや言説は、漢の時代「孫卿新書」にまとめられ、
唐の時代に書物「荀子」として整理されました。
荀子の教えは「性悪説」といわれ、
性善説を唱えた孟子と対をなす形でよく紹介されます。
性悪説といえば、
「人間はもともと悪人である」という主張と思われがちですが、
一般的に悪事を働くような「悪人」とは少し違います。
人間は生まれながらにして弱い存在であり、
放っておけば欲望に負けたり怠けたり好き勝手してしまうので、
儒教の礼に基づいてルールやマナーを教育して、
節度を守らせていくべきであるという考えです。
人間が備え持つ仁があるからOKという理想主義者の孟子と比較して、
荀子はかなりのリアリストです。
孟子の言うような「人間の本性は善」という考えは間違いで
生まれながらの善みたいなもんあるかい!と否定する立場になります。
そもそも、人間の中身なんてわからないので
わからないことを推し量ったり、他人の内面を変える努力をするよりも、
重要なことは礼節を持って善の行いをしているなら、
(内面はどうあれ)その人は善であると判断して良いとしています。
目に見えない仁よりも、目で見て判断できる礼を重要視しているということですね。
目に見えることを重要視するので、
その思想は実力主義・成果主義でもあります。
人間が礼を学んでルールやマナーをしっかり守っていけば、
国も自ずといい方向に向かいますし、
しっかり学んだ者は出世していくべきであり、
サボって学ばないのであれば、
たとえ王侯貴族であっても庶民に格下げするべきだというのが荀子の考えです。
この考えは身分や上下関係を重んじる儒教の中では異端ではありましたが、
彼に続く韓非子などが「礼」を「法」に置き換え「法家」として確立していきます。
法家が掲げた法に基づく国家運営は、
秦の始皇帝に採用され初の中国統一を実現することとなるのです。
そんな荀子の残した言葉には以下のようなものがあります。
●吾の短なる所を用いて人の長ぜる所に遇ることなかれ。
自分の不得意を顧みず、他人のペースに合わせようとするな。という意味。
●蓬、麻中に生ずれば扶けざるも直し。
ヨモギのように曲がりやすいものでも、
まっすぐ伸びる麻の中に入って育てばまっすぐ伸びるようになる。
善良な人と交わっていれば自然と誰でも善人になる。という意味。
●青は藍より出でて藍より青し。
青の染料は植物の藍から取るが、原料の藍よりも青い。
弟子が師匠よりも優れていることのたとえですが、
学問や努力を続けていくことで生まれ持った資質を超えることができる。
ということを伝えています。
「青は藍より出でて藍より青し」が荀子の言葉とは知りませんでした。
また、「おめえさん、てめえのガキの方がよっぽど出来がいいじゃねえか!」
的な意味だと思っていましたが、しっかりがんばりなさいよ的なエールだったんですね。
ちなみに、三国志で有名な荀彧や荀攸は、荀子の末裔とのこと。
子孫もすごい。
※記事については、 学術研究ではなく、
エンターテインメントとしてご覧いただけましたら幸いです。
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