ごきげんよう、ハゲと天パです。
みんな大好き三国志。
魏・呉・蜀の三国がバトルを繰り広げる三国志。
数多の英雄たちが駆け抜ける、
そんな三国志に欠かせないのが、
国と戦を動かす軍師の存在です。
本シリーズでは、蜀、呉、魏の順番に、
基本的に独断と偏見のセレクトで3名ずつ紹介していきます。
今回は第3回。
先に紹介した諸葛亮孔明や龐統と同じく蜀の劉備を支えた徐庶です。
この3人、実は「水鏡先生」こと司馬徽門下の友達です。
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●徐庶の人生と活躍
徐 庶(じょ しょ、? - 234年?)
字は元直(げんちょく)ですが、元の名は「福」だったそうです。
福くんですね。
豫州潁川郡長社県(現在の河南省許昌市長葛市)の生まれで、
権勢がなく一般庶民の家柄、あるいは寒門を意味する単家(たんか、あるいはぜんかと読む)の出身。
役人や文化人の家系でなく、庶民出身というところも劉備とシンパシーがありそう。
若かりし頃と劉備陣営の頃。
若い頃はやんちゃしており、
撃剣の使い手で、義侠心に厚い、熱血系の若者でした。
ちなみに、撃剣ってなんぞやという話ですが、
調べたところ、剣を投げて敵を倒す感じの技術のようです。
投げナイフ的なやつですかね。
または「剣や木刀などを使用して敵を打ち倒すこと」とも出てくるので
この場合は通常の剣術のイメージです。
イマイチどっちが正解かはわからないですが、剣の使い手で腕に覚えがあったよう。
あるとき、義侠心から人の仇討ちを引き受けて殺人を犯し、
しかも役人に捕らわれてしまいます。
しかし、投獄されるも仲間に助け出されてプリズンブレイク。
この救出に感激&ちゃんとしようと決意し、
以降は剣を捨て、学問に励むようになります。
ともに学問を志す友だちもでき、
出身地が同じ石韜と親しく交際するようになりました。
中平年間(184年 - 189年)に世の中が乱れると、
マブの石韜と共に荊州へ移住し、水鏡先生こと司馬徽の門下生となります。
諸葛亮孔明、孟建と特に親しくなりました。
なお、仲良し4人組のうち、
徐庶・孟建・石韜は学問を精密に理解しようと努力しましたが、
孔明は大要を掴むことに努めたそうです。
天才は目の付け所がちがいます。
孔明は、「徐庶・孟建・石韜は仕官すれば、州刺史か郡太守くらいにはなれるだろう」と言ったそうですが、
自分の事は言わなかったそうです。
それくらいでは収まるつもりがなかったし、
褒め言葉ではなかったんでしょうね。
一方その頃、劉備も荊州を治める劉表を頼り、
おなじく荊州の新野(現在の河南省南陽市新野県)に駐屯していました。
徐庶は劉備と会見し、劉備は彼を評価。
軍師に採用します。
小説『三国志演義』では、
劉備と出会い軍師として迎えられ、
魏軍の曹仁との新野城の攻防戦では、
魏の先遣隊5000の軍を2000で迎撃、見事に打ち破ります。
当然、報復として今度は曹仁や李典が率いる本隊25000で攻めてきますが、
曹仁の「八門金鎖の陣」を見破り、
完膚無きまでに叩き伏せてボッコボコにし、曹仁の本拠地 樊城を奪う大活躍を見せます。
その後もしばらくの間、徐庶は劉備の軍師として働いていたのですが、
有能軍師 徐庶の活躍を知った「北のしごできおじさん」こと人材コレクター曹操、
徐庶が欲しいと考え、お母さんを人質にとります。
これには徐庶は大いに動揺、泣く泣く魏に下り、劉備陣営を離れることになるのでした。
とても残念です。
諸葛亮孔明を推薦。
また、「徐庶といえば」で紹介されることとして、
「諸葛亮孔明を劉備に紹介した。」ことが挙げられます。
あ、徐庶のことを「諸葛亮を教えた人」と呼ぶのはやめてあげてください。
ちなみに三国志演義では、母を助けるため魏に下り劉備の元を離れる際に後任として孔明を推薦したとされています。
そのころの劉備陣営、
一緒に旗揚げした義兄弟の関羽や張飛、
客将からの加入で有能な趙雲などの、
腕っぷしが強い武将がいるものの、
彼らをまとめて運用できるブレーンに乏しく、
いわば脳筋軍団。
うまく動かすことができれば、大きなポテンシャルはあるのに、
宝の持ち腐れでパッとしない状態。
ここはいっちょ、ゲームチェンジャーとなる軍師をスカウトしたい劉備。
そんなとき徐庶は、
「ダチの孔明くんは、俺よりすごいっすよ。臥竜っす。」
今は世に出ず、いわば寝ているけれど、一度目覚めれば天下に轟く竜となるようなすごい人物だと教え、
劉備も、
「え、マジで?めっちゃ会いたいから連れてきてよ!」
と孔明を連れてきてくれるように頼みます。
しかし徐庶は
「いやいやいや、孔明くんは俺が呼んだくらいで来るような人物ではないっす。臥竜なんで。
もう、いっちょ直で行ったほうがいいっすね~。」
とアドバイス。
ハードルを上げました。
結果的にこれがよかったんでしょうが。
そのころの孔明は御存知の通り、
誰にも仕えず、晴耕雨読のスローライフをエンジョイしている27歳の若造。
くすぶっているとはいえ、ひとかどの経営者で年齢も40代のミドルの劉備。
当時の感覚では、年齢や身分が上の人が自分からお願いに行くとか考えられないことなのですが、
人徳でやってきた劉備は、もちろん行きましょう!と、
孔明の家にお願いに行きます。
2回すっぽかされたものの3回目で会えて孔明が劉備陣営に参加。
いわゆる「三顧の礼」です。
劉備陣営離脱とそのあと。
上でサラッと書きましたが、
劉備のもとでブレーンとして活躍していくだろうと期待されながら、
曹操の策略で劉備のもとを離れることになる徐庶。
これはお母さんを人質にとられたからなのですが、
三国志演義では程昱の策で母の筆跡を真似た手紙を受取り、
魏に下ったとされています。
おのれ程昱。
親を大切に考え、自らのポストもなげうって陣営を離れる徐庶。
また劉備や諸葛亮も無理に引き止めず行かせたことは美談として語られ、
後の時代の竹林の七賢の一人、嵆康も、
「徐庶は母親のために劉備のもとを離れたが、諸葛亮はこれを止めなかった。これこそ真の友情である」と述べています。
なお、お母さんを助けに降伏してきましたと急いでやってきた徐庶でしたが、
お母さんも肝っ玉母さんで、息子に対して、
「あんたはなにをしているんじゃ!」と激怒。
なんと自ら命を絶ってしてしまいます。
息子の気持ちも考えてあげて!
曹操はお母さんを丁重に供養してくれたので、
その恩義に報い魏にとどまりますが、
徐庶はこの一連のでき事で「曹操のために献策はしない」という誓いを立てました。
働かない宣言。
三国志演義ではこの誰一人得しない悲しい結末により、
その後の徐庶の目立った登場はないのですが、
実は 赤壁の戦い にも従軍、
龐統が仕掛けた「連環の計」、
これは、曹操軍兵士が水戦に不慣れですぐ酔っちゃうので、
船の揺れを和らげるために船同士を鎖でつなげるといいよ。とい案でしたが、
実は火計の際に船同士を延焼しやすく、かつ逃げられないようにするための罠。
その真意に曹操の陣営でただ一人、徐庶だけがこの策を看破していましたが、
献策しないと決めていたので真実を進言することなく、これを見逃します。
龐統の方でも助言を行い「北方の馬騰を抑え、涼州の侵攻に対する備え」という名目で
徐庶を陣から離れさせて被害が及ばないように根回ししています。
同じ門下生同士で龐統とも友達だったんですね。
働かない宣言&赤壁離脱でその後演義では活躍しない徐庶ですが、
実際のところ、移籍後は魏に仕え、
黄初年間には彭城の相として右中郎将に昇進。
その後、人事異動で御史中丞に昇進。
232年に曹叡が皇室の権力を強化させる政策に出ると、出世に興味がないので彭国の相に戻り、諸葛亮と同時期に生涯を終えたそうです。
意外としっかり働いてました!
ちなみに友達の石韜や孟建は劉備に仕えず、
早くから曹操に仕え、石韜は郡太守・典農校尉を歴任、孟建は涼州刺史・征東将軍になっています。
後に孔明は北伐の際に、徐庶と石韜の官職を聞き知って各々の才能に対して不充分と思い、
「魏は取り分け人物が多いのだろうか。どうしてあの二人は用いられないのだろうか」と嘆いたそうです。
まあ、予想程度の出世で予言的中のフラグ回収なのですが。
ちなみに孟建は予想以上に出世してました。
●諸葛亮孔明からの評価
孔明が丞相となった後に官吏に与えた教書には、
「官署に参じる者とは、衆思を広く集めて忠益するものだ。
人心とは尽くをする事が苦手で、ただ徐元直だけは惑うことなくこれに勤めた。
もし元直の行いの十分の一でも慕う事ができれば、私も過失が少なくすることができるだろう」
「昔、崔州平と交際した当初、しばしば損得を教えられた。
後に徐元直と交わり、何度も欠点を指摘された。
彼らとは終始よい付き合いだった。直言をいとわない利の証明として足りるだろう」
と徐庶の人格を称え、その交友をしのんでいます。
昔はやんちゃしてたけどひたむきに学問に励み、
活躍して将来の活躍を期待されるも、
不運でチャンスを失い歴史に埋もれていった徐庶。
お母さんが人質に取られたときも、とても大きな葛藤があったと思います。
劉備陣営に残っていれば、
諸葛亮、龐統、徐庶という3人の活躍で違った歴史になっていたかもしれず、
そんな歴史も見てみたいという思いにかられます。
以上、徐庶の紹介でした。
徐庶の人生は物語としては報われないですが、
最終的に穏やかに生涯を全うできたのではないかと思われますので、
その点では良かったなと思います。
優秀ではあるものの「普通の人」というところに非常にシンパシーを感じて大好きです。
なお、このブログは、
気になったことを調べ、
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ソースは主にWikipediaなどになりますので、
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興味のきっかけや、ふんわりしたイメージ掴みのお手伝いになればうれしいです。
参考:
徐庶-wikipedia
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