兵家 孫子の兵法

38 孫子 十三篇 研究 6 -虚実編 先に着いて待ち受けろ!分散させてボコせ!-

兵法書『孫子』の研究第6回。
第六篇虚実篇 について書いていきます。
虚実とはなんなのか。
敵兵力の分散と、自軍兵力の集中、
敵の弱点を作って攻めることで主導権を取ることについて述べています。

孫武

まずは書き下し文、
次いで解説を加えた現代語訳を紹介します。


孫武

虚実篇 書き下し文

孫子曰わく、

凡そ先に戦地に処(お)りて敵を待つ者は佚し、
後れて戦地に処りて戦いに趨(おもむ)く者は労す。

故に善く戦う者は、人を致して人に致されず。
能く敵人をして自ら至らしむる者は、これを利すればなり。
能く敵人をして至るを得ざらしむるは者は、これを害すればなり。

故に敵 佚すれば能くこれを労し、飽けば能くこれを饑(う)えしめ、
安んずれば能くこれを動かす。

其の趨(おもむ)かざる所に出で、其の意(おも)わざる所に趨き、
千里を行きて労せざるは、無人の地を行けばなり。
攻めて必ず取る者は、其の守らざる所を攻むればなり。

守りて必らず固き者は、其の攻めざる所を守ればなり。
故に善く攻むる者には、敵、其の守る所を知らず。
善く守る者は、敵、其の攻むる所を知らず。
微なるかな微なるかな、無形に至る。
神(しん)なるかな神なるかな、無声に至る。

故に能く敵の司命を為す。
進みて禦(ふせ)ぐ可からざる者は、其の虚を衝けばなり。
退きて追う可からざる者は、速かにして及ぶべからざればなり。
故に我れ戦わんと欲すれば、敵、塁を高くし溝を深くすと雖(いえど)も、
我と戦わざるを得ざる者は、其の必らず救う所を攻むればなり。

我戦いを欲せざれば、地を画して之を守ると雖も、
敵、我れと戦うを得ざる者は、其の之(ゆ)く所に乖(そむ)けばなり。
故に人を形せしめて我れに形無ければ、
則ち我れは専(あつ)まりて敵は分かる。
我れは専まりて一と為り、敵は分かれて十と為らば、
是れ十を以て其の一を攻むるなり。
則ち我れは衆にして敵は寡なり。

能く衆を以て寡を撃てば、則ち吾が与(とも)に戦う所の者は約なり。
吾が与に戦う所の地は知る可からず。
知る可からざれば、則ち敵の備うる所の者多し。

敵の備うる所の者多ければ、則ち吾が与に戦う所の者は寡(すく)なし。
故に前に備うれば則ち後ろ寡なく、
後ろに備うれば則ち前寡なく、
左に備うれば則ち右寡なく、
右に備うれば則ち左寡なく、
備えざる所なければ則ち寡なからざる所無し。
寡き者は人に備うる者なればなり。

衆(おお)き者は人をして己れに備えしむる者なり。
故に戦いの地を知り、戦いの日を知れば、則ち千里にして会戦す可し。
戦いの地をしらず戦いの日を知らざれば、
則ち左は右を救うこと能わず、
右は左を救うこと能わず、
前は後を救うこと能わず、
後は前を救うこと能わず。
而るを況や遠き者は数十里、近き者は数里なるをや。
吾を以てこれを度(はか)るに、
越人の兵は多しと雖も、亦た奚(なん)ぞ勝敗に益あらん。

故に曰く、勝は為す可きなり。
敵は衆しと雖も、闘うこと無からしむ可し。
故にこれを策(はか)りて得失の計を知り、
これを作(おこ)して動静の理を知り、
これを形(あらわ)して死生の地を知り、
これに角(ふ)れて有余不足の処を知る。

故に兵を形すの極は、無形に至る。
無形なれば、則ち深間も窺うこと能わず、智者も謀ること能わず。
形に因りて勝を錯(お)くも、衆は知ること能わず。
人皆我が勝つ所以の形を知るも、吾が勝を制する所以の形を知ること莫(な)し。
故に其の戦い勝つや復(くりかえ)さずして、形を無窮に応ず。 

夫(そ)れ兵の形は水に象(かたど)る。
水の形は高きを避けて下(ひく)きに趨く。
兵の形は実を避けて虚を撃つ。
水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝を制す。
故に兵に常勢無く、水に常形無し。
能く敵に因りて変化して勝を取る者、これを神(しん)と謂う。
故に五行に常勝無く、四時に常位無く、
日に短長有り、月に死生有り。


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孫武

虚実篇 現代語訳


先に戦地に到着して敵を待ち受ける者は、余裕を持って戦えるので楽ですが、
あとから戦場に着いて、急いで戦いを始める者は疲労し苦しい戦いになってしまいます。
したがって、戦いが上手な者は、
敵を思うがままに動かし、敵の思い通りに動かされたりはしない。 
来てほしい地点に敵が自分から進んでやって来るように仕向けられるのは、
敵に利益を見せて誘うからであり、
敵軍が来られないように仕向けられるのは、害があると思わせるからです。 
敵が安楽にしていれば、引きずり回して疲労させる。
食料十分にしていれば、飢えるように仕向け、
安定していれば動揺するように仕向ける。
それができるのは敵が駆けつけられないところに出て、
思いもよらないところに進撃するからです。

千里もの長距離を遠征しながらも疲れないのは、
敵がいない地域を進軍するからなのです。 
攻撃して必ず奪取するのは、
そもそも敵が守備していない地点を攻撃するからです。 
守備すれば決まって堅固なのは、
そもそも敵が攻撃してこない地点を守るからです。

このように、攻撃の巧みな者にかかると、敵はどこを守ればよいのか判断できず、
守備の巧みな者にかかると、敵はどこを攻めればよいのか判断できません。
なんと微妙なことでしょう。
最高は陣形が無いように見えることにまで到達する。
なんと神妙なことでしょう。最高は無音の進撃にまで到達する。
だからこそ、敵の命運をも支配する者となれるのです。
進撃しても敵が防ぎきれないのは、敵の盲点を衝くからです。 
退却しても、決して敵が追いつけないのは、素早い退却によるものです。

そんなわけでこちらが戦いを望めば、
土塁を高く築き堀を深く掘って守りを固めていてたとしても敵が戦わざるを得なくなる。
それは、敵が必ず助けにいかなければならなくなるところを攻撃するからです。
自軍が戦いたくない思う時、
地面に線を引いた程度の薄い防御であっても、敵が自軍と戦うことができないのは、
敵の進路をあらぬ方向にそらしてしまうからです。

そこで、戦上手の戦い方は敵軍には態勢をあらわにさせておきながら、
こちらの態勢を隠したまま(無形)にします。
自軍は兵力を集中するが、敵軍はすべての可能性に備えるために兵力を分散する。
自軍は集中して全兵力が一つの部隊となり、敵軍は分散して十の部隊になれば、敵の十倍の兵力で、味方の十分の一の敵を攻撃することになるのです。
つまり、敵を分散させるので、こちらの兵力が多く敵兵力が少なくなるというわけですね。
多くの兵で少ない兵を攻撃することができれば、いつだって敵は貧弱なのです。

自軍が全兵力を集結して戦おうとする地点を敵は予知できないから、敵は備えなければならない場所が多くなります。
敵が兵力を配置する場所が増えれば、それぞれの地点で自軍と戦う兵力は手薄になる。
前に備えれば後ろが手薄に、後ろに備えれば前が手薄に、
左に備えれば右が、右に備えれば左が手薄になります。
すべての方面に備えようとする者は、あらゆる地点が手薄に。
兵力が少ないのは、分散して備えなければならないからであり
兵力が多いのは敵を分散させて備えさせるからなのです。

戦いが起こる場所や日時を知ることができれば、たとえ千里の遠方であっても戦うことができます。
戦いが起こる日時も予知できず、戦いが起こる地点も予知できないのでは、前衛は後衛を救援できず、後衛は前衛を救援できず、
左翼は右翼を救援できず、右翼は左翼を救援できません。
ましてや、数十里と遠く離れた味方はもちろん、数里先の近くにいる味方を助けに行くのも間に合わないのです。 
以上のことから考えてみるに、越(敵国)の総兵力がどれだけ多くても何ら勝利の助けにはなりませんね。

勝利とは作り出すものなのです。
敵がどんなに多くても、分散させて戦えないように仕向けてやればいいのです。
そこで、戦いの前に敵の状況を分析して利害損得の見積もり、
敵を刺激して動かしてみて、その行動の基準を知る。
敵の陣形を明らかにして敗れる地勢と敗れない地勢とを知り、
敵と小ぜりあいしてみて、優勢なところと手薄な所を知るのです。

そこで、軍の形の究極は、形をなくすこと
態勢が隠れ、無形であれば、深く潜り込んだスパイでもかぎつけることができず、
敵の知謀にすぐれた者でも対策を立てることができません。
相手の態勢が読みとれれば、多くの味方が見ている通りの勝利が得られるのですが、一般の人にはどうやって勝ったのかを真に知ることはできないでしょう。
人々はみな、勝ったということのありさまを知ることは出来ますが、
戦う前に勝ちを制していたというありさまは知らない。
だから、戦いを勝つのに同じ陣形は二度と繰り返しがなく、相手の形に対応して限りなく変化するものなのです。 

そもそも軍の態勢とは水の状態のようなもの。
水の流れは高いところを避けて低いところへ向かいますが、
軍の態勢も、敵が備えが充実しているところ(実)を避けて隙のあるところ(虚)を攻撃します。
水は地形のままに従って流れを定めますが、軍も敵の態勢に応じて勝利を決定するのです。
だから、軍には定まった状態はなく、水にも決まった形というものがありません。
うまく敵の態勢に従って変化しながら勝利を勝ち取ることのできる者、
これを人智では計り知れない「神妙」というのです。

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孫武

虚実篇 解説とまとめ

相手より早く陣取って、余裕を持って展開し待ち受けることで場の主導権を握る。
お仕事でもギリギリで出勤するとバタバタですが、早めにきて一日のタスクを整理すれば予定を組み立てて仕事がしやすいですよね。
仕事の場合は敵がいるとは限りませんが、
敵を焦らせることでこちらの立場を優位にできます。
そのため、戦場に早く着いて現場を把握し、作戦を見直したり、シナリオを立て、戦場を自分の場にすることは重要です。

また、新たなマーケットに進出する場合も先行者が有利ということは多いにあります。
他者やライバルが思いもよらないところに進出することで、相手を出し抜くことができる。
また、誰もいないところはライバルがおらず独壇場となります。
いわゆる「ブルーオーシャン戦略」ですね。

敵がいない間に場を支配できれば、
すぐにライバルに追いつかれることもなく利益や勢力を伸ばすことができます。

其の趨かざる所に出で、其の意(おも)わざる所に趨き、
千里を行きて労せざるは、無人の地を行けばなり。攻めて必ず取る者は、其の守らざる所を攻むればなり。
守りて必らず固き者は、其の攻めざる所を守ればなり。
故に善く攻むる者には、敵、其の守る所を知らず。
善く守る者は、敵、其の攻むる所を知らず。

無人の地を行けば遠くても進出時に損害がなく、
守備のないところを攻めれば落としやすく、攻めてこないところを守るのでやられない。というロジック。
つまり、敵がどこを攻めればいいのかわからず、またどこを守ればいいのかわからない。
これはもう最強ですね。
からの、

微なるかな微なるかな、無形に至る。
神なるかな神なるかな、無声に至る。

このフレーズは孫武さん的にも、
書いててめちゃめちゃ気持ちよかったんでしょうね。
筆がノっちゃってテンション高い感じが伝わります。

こちらが態勢を隠すことによって、出方がわからないようにするので、
相手はあらゆる可能性を想定しなければいけません。
当然、いろいろなパターンに対処するためにリソースを分散することになり、クオリティが下がります。
そうなれば、こちらはフルパワーで相手の分散して手薄になったところと戦うので、
常に有利だよ。というロジックです。

これはこちらが攻めのポジションでいることが重要。
受け身でなく、主体的な姿勢で主導権を取りに行くことが大切ですね。

仕事が嫌な月曜日、気が重い時は
やらないといけないことをできるだけ小さくしてやっつけていけばOKという、
「びじゅチューン!」の歌 を思い出しました。

戦いの場や日時などが敵より早く分かっていれば、先に戦場について主導権を握ることができるので、戦うことができると「孫子」には書かれています。
しかし場所や日時などもわからないのに進出すれば、
相手に後れを取ってポジションが逆転して、やりたかった勝ち方で相手にやられてしまいます。
なので先に主導権を握り、分散させて潰す。
善く戦う者は、人を致して人に致されず。ですね。

勝は為す可きなり。とあるように、
勝利は願うものではなく作り出すものなのです。
「夢なんて見るものじゃない、語るものじゃない、叶えるものだから」と、
安室ちゃんもチェイスザチャンスしてましたが、そんな感じです。
厳密にいうと、考えたのは小室さんですが。

しかしまあ、今までにも書いたあった通り、あくまで兵とは国の大事
そもそも戦わないに越したことはないので、相手より先に知れたといえども、敵に有利なフィールドであれば、
無理な進出はナンセンスですし、勝算のない勝負はしてはいけません。
戦わざるを得ない時には勝てる場を整えてから臨み、
相手がいる戦いであれば敵を分散してこちらが有利な状態でボコしましょう。

軍、戦い方というものに決まった形があると思うのは間違いで、
情勢に合わせて変化して対応する者が勝つと述べられており、それは水のあり方に例えられています。
高いところから低いところに流れるように、
堅いところを避けて隙のあるところを攻撃する。
地形に沿って流れるように、敵の態勢に応じて対応する。

故に兵に常勢無く、水に常形無し。

使いたい名言が出ました。
仕事や日常生活においても同様のあり方ですね。

『孫子』十三篇

参考文献
・孫子 ー「兵法の真髄」を読む(中公新書) 渡邉義浩 著

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