ごきげんよう、ハゲと天パです。
四十七都道府県なんそれ妖怪図鑑
シリーズ、第26回。
近畿地方編を引き続きお送りしています。
日本に伝わる数ある妖怪のなかで、
「なんそれ?」という妖怪をセレクトし、
47都道府県ごとに紹介しております。
にぎやかすのはおなじみのこの2人。
加筆です。にぎやかします。
修正です。しゃしゃり出ます。
2人(通称ペンドラゴンズ)についてはこちら。
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だってお金がほしいもの。


●第二十六回・京都府
北から南へ、北海道 to 沖縄で紹介中。
前回は滋賀県代表、
片輪車(かたわぐるま)でした。
夜なよな、村を走り回る妖怪。
見るだけでなく噂話をするだけで祟られますが、
人に姿を見られると、もう出てこれない。
という弱点もあります。
今回はお隣の京都府、
代表に選んだ妖怪はこちら。

京都代表・宗旦狐

宗旦狐(そうたんぎつね)は、
京都市上京区の相国寺に伝わる化け狐。
ひさしぶりのモフモフ枠です。
なんせ古都京都ですので、
妖怪以外にも触れとくことがちょっとあります。
まず舞台となる相国寺(しょうこくじ)ですが、
こちら、京都市上京区相国寺門前町にある臨済宗相国寺派の大本山。
山号は萬年山(まんねんざん)、本尊は釈迦如来。
足利将軍家にもゆかりの禅寺だそう。
京都にはたくさんお寺がありますが、
代表的な五つの禅宗のお寺があり、
京都五山と呼ばれています。
相国寺はそんな京都五山の第二位。
また、京都の名所としても有名な、
金閣寺こと鹿苑寺、また銀閣寺こと慈照寺は、
相国寺の山外塔頭(さんがいたっちゅう)。
いわば相国寺アネックスです。
語弊がありそう。
ちなみに、水墨画で有名な
雪舟も相国寺の出身だそうです。
さて、そんな由緒正しい、
相国寺に伝わる宗旦狐。
「宗旦」の名の通り、
茶道の千家中興の祖、
千 宗旦に化けてしばしば茶席に現れたという狐。
文化人系です。
特定個人の名前が入った妖怪はたまにいますが、
よくある「個人の怨念が化けた」系ではなく、
有名な個人に化けたやつというパターンはレアです。
千 宗旦についても知る必要があると思いますので、
手短に紹介。
千 宗旦、読みは(せん の そうたん)。
1578年2月7日(天正6年1月1日)生まれ、
1659年1月11日(万治元年12月19日)没の茶人で、
上記の通り、千家茶道の基礎を固めた人物。
父である千 少庵が興した京千家を継いだ
千家3代目で宗旦流(三千家)の祖です。
三千家は、
表千家・裏千家・武者小路千家の三つの家で、
現在も続いています。
すでに姓でお察しかと思いますが、
茶の湯のレジェンド 千 利休 の孫にあたり、
父の少庵 は利休の後妻、千 宗恩の連れ子。
母は利休の娘お亀。
おじいさんの利休は、
天下人・豊臣秀吉のブレーンとして
活躍していましたが、
御存知の通り、なんやかんやあって切腹。
没後、本家の堺千家は利休の実子、
千 道安が継いだものの、道安没後に断絶。
養子の少庵は会津の蒲生氏郷の元で
蟄居させられていましたが、
徳川家康や氏郷のとりなしで赦されて京に戻り千家を再興します。(京千家)
宗旦は、利休の後妻の連れ子の子というわけで、
家督争いを避けるために仏門に入れられ、
禅の修行を積んでいましたが、
千家再興のタイミングで呼び戻され還俗。
弟子らとともに利休流のわび茶の普及に努めます。
祖父の利休が秀吉と密に関係性をもったことで、
結果的に自刃に追い込まれたことから、
宗旦は政治との関わりを避け、
生涯仕官はしなかったそうです。
彼の茶風は利休のわび茶を、さらに徹底した清貧スタイル。
まるで乞食修行を行っているようだとされるほど。
晩年に建てた、約2畳という超ミニマルな
「一畳台目」の茶室は、
侘び茶の精神を表した究極の茶室とされているそうです。
そんなわけで事前情報がわかったところで、
宗旦狐についてのお話。
やっとこさですわ。
あるとき、相国寺で千宗旦の茶会が開かれました。
その会での宗旦の見事な点前は、
出席した茶人たちはもちろんのこと、
普段からそれを見慣れている弟子たちですら見とれるほどだったそう。
ところが宗旦がその場を去った後、
また宗旦が現れ、遅刻して来たことを詫びます。
どゆこと?
そんなことが何度かあり、
弟子たちも、
「これはおかしい」
「どうやら宗旦先生の偽者がいるぞ」
と考え、
後日、茶室に宗旦が現れたとき、
本人が自宅にいることを確かめた上で、
弟子たちはニセ宗旦を問い詰めました。
するとニセ宗旦は、
「ハイ、ニセモノです。」
と素直に白状し、狐が言うには、
「実は自分は寺の藪に住む古狐でやんす。
ずっと宗旦師匠の点前に憧れてて、
いつか自分もやってみたかったんす。
もう二度と悪さをしねえす。」
と詫び、狐の姿となって逃げ去ったそう。
弟子たちは、そんな宗旦狐の腕前に感心し、
狐を追うことはなかったんだとか。
憧れてたんだね。

そうなんすよ。
これで終わりかと思いきや、
まだだ、まだ終わらんよ!
時は流れて幕末。
宗旦狐は雲水に化け相国寺で勉強をしてました。
勉強熱心でえらい。
雲水とは、
禅宗の修行僧のことです。
だいぶ時間経ってるけど、
長生きだね。

まあ、自分も一応、妖怪っすからね。
相国寺でお世話になっている宗旦狐、
他の雲水たちと共に
座禅を組んだり、托鉢に回ったり、
時には寺の財政難を建て直すべく、
力を尽くしたそうです。
ご近所との関係も良好で、
門前の家で碁を打つこともあったそう。
碁に熱中するあまり、
狐の尻尾が出てしまうというドジも時にありつつ、
人々は狐の正体を知りながらも、
付き合っていたんだとか。
やさしい世界。
そして、めっちゃえらいやん、君。
ある年の盆。
門前の豆腐屋が資金難から倒産寸前の危機。
宗旦狐は蓮の葉をたくさん集めて来て、
それを売って金に換えて大豆を買うようすすめ、
豆腐屋もそのアドバイスのお陰で店を建て直すことができました。
コンサルもできちゃう有能。
お礼をしようと考えた豆腐屋、
狐の大好物である、
鼠の天婦羅を作って宗旦狐に贈ります。
ちょっと待って、
その油、ちゃんと換えたでしょうね?
しかし宗旦狐は、
「それを食べると神通力が失われる。」
といって遠慮。
・・・とはいうものの、
目は大好物に釘付け。
つい我慢できずにそれを食べてしまいました。
その途端に宗旦狐はもとの狐の姿に戻り、
近所の犬たちが激しく吠え、追い立てます!
狐は咄嗟に藪の中に逃げ込みましたが、
慌てたために井戸に落ち、
命を落としてしまいました。
相国寺は寺のために尽くしてくれた
宗旦狐の死を哀れんで、宗旦稲荷として祠を築き、狐を僧堂の守護神としましたとさ。
宗旦狐ーー!(泣)
宗旦狐ーー!(泣)

はい、ここにいますよ。

宗旦狐の最期については、
別説では猟師に鉄砲で撃たれたという説や、
自ら死期を悟って、
別れの茶会を開いたという説もあるそうです。
なお、現在でも宗旦稲荷は、相国寺の境内に祀られています。
はい、そんなわけで、
京都府代表のなんそれ妖怪、
宗旦狐でした。
今回は一人も、
悪いやつや怖いやつが出てこない回でしたね。
なんそれ感もなかったけどね。
お話として、
とても良かったと思います。
宗旦狐、かわいすぎ。
次回は奈良県です。
引き続きお付き合いいただけたら幸い。
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宗旦狐-wikipedia
相国寺-wikipedia
千宗旦-wikipedia
京都のお土産といえば?
阿闍梨餅に決まっとるやろがい。
「あじゃりもち」
と読みます。
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